驚いてないけど

正直に言うと、理研のSTAP細胞の件、個人的にはあまり驚いていない。この事件と、過去に自分が見た日本の研究室で感じた数々の事との繋がりを感じてしまったのだ(大学院のやつ)。でも、なんとなく考えをメモ程度に書き残したくなった。

日本の生命科学系の研究を担っている研究室全てが、あのような杜撰なことをやっているわけではない。日本社会独自の、データに基づいた論理的な議論が出来なかったり、過程を重んじず議論なしで結論にたどり着いたりする(誰か「偉い」ヒトの感情移入で結論が決まる)仕組みは間違いなく研究室内でも働いていて、それが今回の様な事件の温床となりやすいという確信はあるが、生命科学系基礎研究を担っている全ての研究グループや研究者が、今回引き合いに出されている方々の様に杜撰なことをしているわけではない。

幸い姉さんが知っている日本人研究者の人々は、面白い研究を、研究対象に愛情というか愛着というか、そういった感情を持って行っていると思う。彼らには、自らが行っている仕事に対するこだわりがある。それはもしかしたら、分野が本当に基礎の基礎の生命科学だからかも知れない。端からすると「何の役に立つの」と思われかねない純生物学的な分野であり、今回取り上げられている医科学系の基礎研究(ゆくゆくは医療に応用することを目的としている基礎研究)とはかなり遠い分野である。姉さんとしては、そういう分野は、身近な生物に対する人々の興味を喚起するという点でとても重要だと感じている。彼らは日々、実験対象の奇麗な顕微鏡画像を撮ることに試行錯誤したり、上手くいくとその画像に純粋に感動したり(それをパソコンのデスクトップ画像にしたり笑)、実験で自分が得た生のデータを真摯に受け止めて、それを元に次の疑問を抱き、その疑問に答えを出すべく次の実験をし、徐々にその生物についての理解を深めていく(今から考えれば、学部にいた時にそのような研究者達に囲まれて育ったことは重要な経験だった)。

例え分野が異なっても、実験対象やデータに対する純粋で真摯な態度を持つ事は大切である。というか、自分の仕事に愛着があって、仕事の上での明確なゴールがあったら、自然にそうなるのではないか。この事件や過去の別件の捏造事件に関わった人達、実験プロセスにも何も疑問を抱かなかった人達、自分の仕事にはこだわりを持っているのだろうか。うまく蛍光顕微鏡画像がとれた時の喜びとか、知らないのだろうか。自分が撮った画像とかデータとかにこだわりがないのだろうか。大事な論文に載せる画像を使い回したり、どこかのウェブサイトから勝手に切り取ったり、自分の研究や研究対象に愛着があるなら、そのようなこと普通はしない。博士論文に膨大な量の剽窃があったりとか、自分で書いた博士論文に何もこだわりはなかったのだろうか。こだわりなくして本当に研究者なのだろうか。論文の出来映えとか、実験プロセスの詳細にまでこだわるのが研究者だと思うのだが。「競争が厳しい分野だから」とかそういうのは言い訳にならないと思うのだが。あまりにも適当すぎると思うのだ。それが研究に関わっている姉さん個人として非常に疑問。

あと、研究者自身のメンタリティだけでなく、そのグループがいる研究組織に関しても疑問が湧き出るばかり。まず大学院。あの博士論文も、さすがに姉さんが出た大学院ですら(当時は。今は知らない)、オーケーとは言わない。指導教官が一応目を通すし、変だろと思ったら注意されるし、それがなくても審査会がとめるだろう。剽窃は日本ではそこまでウルサく言われないが、アメリカの大学にいたら「ルール違反です」と言われる(やっちゃうヒトはいるけど、普通ばれるし、ばれるということは処分に繋がる。アメリカのサイエンスはルール違反に対する罰がもっと徹底しているし、皆それに対してもっと敏感である)。しかも、剽窃の量が前代未聞。とりあえず、彼女自身が再現実験を成功させることが出来れば、トップにある問題は解決するだろうが、仮に成功したとしても「じゃあ成功したから、君が今まで博士課程でやらかしたことや博士論文やNatureに投稿した論文の不適切さは見逃してあげるね」とはならない事を祈る。日本の中だけで収束させてしまえることならそうなるのだろうなーと思うが、現実はそこまで甘くないと思う。海外を巻き込んでいるから。そしてこのようなヒトをユニットリーダーにした理研。どうして日本のサイエンスの人選はいつもおかしな方向に行ってしまうのだろう。どうして事実や実力に基づいた人選が出来ないのだろう。

最後の疑問はマスコミの報道のやり方。これは疑問というより批判。マスコミはドラマ仕立てのストーリーを作ってニュース報道するのを辞めるべきだ。彼女に非が無いとは言わないが、彼女はマスコミの食い物にされた、被害者であると言えると思う。STAP細胞という世紀の大発見があったのなら、それについて分かっている事実を報道するべきで、その研究を行った本人が女性だからといって、私生活のことや写真をバラまいて良いのか。「リケジョ」とか訳の分からない造語を使ったオボ○タさんに関する(主に私生活に重きを置き、「女性であること」を演出する)報道を聞いて、姉さんはサイエンス好きな女性として非常に嫌な感じを覚えた。サイエンスの大発見に関する報道のはずが、ただの感情的でsexist(性差別的)な何だか分からないニュースに置き換わっている。結局、マスコミにより、オボ○タさんは私生活まで根掘り葉掘りされ持ち上げられた後、(自分のミスにより)今度はどん底まで突き落とされることになってしまった。STAP細胞の発見の時も、不正発覚の時も、彼女個人にマスコミが食いついてしまった結果である。前者の時はSTAP細胞、後者の時は彼女が属するグループや彼女に博士号をだした大学院のクオリティ自体が焦点になるべきではなかったのか。ここまで短期間で持ち上げられて、たたき落とされたヒトは見た事が無い。マスコミには罪があると思う。彼女自身も、ここまで脚色されて報じられるとは思っていなかっただろう。

マスコミに報道された事は全世界に散らばっていくから怖い。そういう意味で、マスコミのあり方はもっと議論されるべきである。ただ、メディアは国民の質(傾向?)を反映する、というのでメディアだけのせいではないのかもしれない。実際、「感情的でsexist」「実際の実験対象やデータから議論が逸れてしまう」研究環境は多いからである。結果的に頓珍漢な結論に達したり、個人が批判されて終わり、サイエンスがまともに進まない(でも進んでいるように見せる)。メディアの傾向に非常に似ている。あからさまにそう見えなくても、そうなりかねないポテンシャルを秘めている場合が多い。そう考えると、今回のオボ○タさん事件は日本社会や研究環境の問題を提起しているように思える。自分なりの解釈だけど。

何年か前にも書いたかもしれないけれど、日本の研究環境は、変えたいと思うヒトがもっと出てこないと一向に変わらない。こんなに問題が噴出していても、中にいる人々が変化を望んでいない。現に、理研の態度を見ていてそう思わないか。中にいるヒトの殆どが変化を望んでいないなら、変革を行うのは無理である。結果的に、変革を望んでいた少数派の人々は海外に出る事を選択してしまう。研究にこだわりがあれば、研究をより良い環境で行うために国境を越える事は今の時代容易い事である。こだわりがあればある程そうなるだろう。

一体どうするのだー日本。

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ついに抜け出ました

ついに抜け出た。所謂「退院」。

最後の最後まで予想外の出来事に悩まされたが、学位無事に貰えた!これでビザ申請ができる。というか、これでやっとビザ申請の一歩手前の手続きが始まる。

去年の今頃は本を読んでもほぼ理解できないほど神経をやられてた。あの大地震もありましたしね。でもあの地震のおかげで人生変わりました、実は。いつどこで災害にあうか分からない地殻・気候変動の時代に、自分の可能性にかけてやりたいことをやらずに悶々と生きるのはリスキーすぎます。もちろん、自分がどんなに努力しても無理だと分かりきっていることを押し進めるのはリスキーに決まっていますが・・・でも周りが勝手に作っている「空気」や「決まりごと」に首を絞められる必要はないはずだ。

今まで支えてくれた人々に感謝している。ありがとござます。あと、結局1年近く待ってくれた就職先にも。

卒業式には行かなかったが、学位記をもらった後の学科の謝恩会にもちゃんと出席して任務を全うし(もちろんけんきゅーしつの同期が仕事をしないので姉さんが委員をやらなければならなかっただけですが)、さらにけんきゅーしつの所謂「追いコン」にも出席し(これは卒業生が自分の他にもう1人しかいなかったから、欠席したら後輩に悪いなと思った)、完全にやることはすべて終えた。これでもうけんきゅーしつに行かなくて済むなんて夢の様である。

自分の机の片付けを終えてからけんきゅーしつには顔を殆ど出さなかったが、その間に体調がどんどん良くなり、卵巣付近の痛みが消えた。原因不明だと思っていた卵巣の腫れはストレスからきたものだったらしい。原因が分かったので良かった。

けんきゅーしつという悪夢に浸ることで、ようやっと夢の見方が分かったようなものだが、もう2度とあのキャンパスには足を踏み入れたくないし、あの人達とはサイエンスの話はしたくないと思っている。関わりたくない。同期の博士課程進学者ちゃんからは、どうも「友達」だと思われているらしいが、残念ながら姉さんはそう思わない。自分でやるべきことを殆ど押し付けておいて、「友達」はないだろう。姉さんにとってはあくまでも「けんきゅーしつの同期だった人」である。あの環境で何の疑問も覚えない人達に対して、姉さんは恐怖心すら覚える。

閉鎖的かつ縦社会がスタンダードな日本のけんきゅーしつでは、自然に「何が面白いか」よりも「誰が偉いか」という向きに自然とベクトルが向いてしまうようだ。結果的に本質がサイエンスから離れていく。もちろんそうでない研究室が存在することも知っているので断言はしないが、傾向として。なんかもう極端なところまで行くと、税金を用いたおままごとにしか見えない。もうけんきゅーしつについては色々書いてきたので、これで終わりにします。

最後に。修了できて良かったです。

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終わらない悪夢

信じられないことに、姉さんがいる専攻では学位授与式の後に謝恩会を「しなければならない」らしい。教員に「感謝」する会だから、学生は教員がタダで参加できるよう、教員の会費分も負担することになるらしい。高額の会費を払うことになり、そして、参加不参加に関わらず、今年度に卒業する修士と博士からは強制で会費(1万円を超える。)が徴収されるらしい。

大学までなら謝恩会があっても仕方がないような感じがするが(当時は文句タラタラで参加したが。)、大学院でまでやるのか、謝恩会。

大学院で謝恩会なんて今まで聞いたことないし、姉さんと同じ大学の他の専攻で修士に行った友人や、他大学院の修士に聞いてもそんなものはないと言う。そもそも、おかしいと思うのが、

・参加不参加に関わらず、ここの専攻から外に出る人間全員から強制的に会費が徴収されること
・委員長はどうも教員によって任命されるらしいこと

有無を言わさず、ってことか。しかも博士まで対象になっている。謝恩会委員会なるものが修士の学生で構成され、役割分担し、役割によっては謝礼が出る(こんなこと工夫する意味あるのか?)。この訳のわからないシキタリが、代々踏襲されてきたらしい。

普通に考えたら、大学院だし、参加したい人間だけで、その人数でまかなえるスケールで行うべきだろう。そして、これは学生が提案して行われるべきイベントであって、教員が言い出しっぺになって行われているのもおかしい気がする。仮に学生が言いだして企画しても、もしそれで学生が集まらないなら、それは学生が本当に感謝していないからであり、しょうがない。

どこからどう見ても、これは謝恩会ではなく、「ここから出ていくやつは全員、俺達にできる限り盛大に感謝しろ会」である。おそらく教員が盛大に感謝されたくて、しかも、学生が集まらないのは嫌なので(つまり実はあまり感謝されてない現実を知るのが嫌なので)、強制徴収という形をとったのだろう。修了していく全員から徴収することで、金額的に規模は可能な範囲で最大になり、しかも、お金を取られるなら出席するしかないという理由で、学生は殆ど出席する。

ここの専攻の教員が無駄にイベント好きで、しかもちょっとアレなのは分かっていたが・・・

このイベントが存在すること、それが何の疑問も無く代々踏襲されてきたことが、この専攻の性質を要約しているような感じ。最後の最後にこれが来るとは。神様には感謝しているが、教員にはこれっぽちも感謝していない。もはや笑い飛ばせない。しかも、例によって姉さんの同期は働かないので、姉さんが研究室代表(委員の一人)。

最後の最後まで、学生は教員がfeeling superiorするためのお手伝いをしなければならないのか。お金を払ってまで。

もうここまで来てボイコットとかするつもりはないが、参加はしたくない。参加しなかったことでつべこべ言われても、つべこべ言うのは思考回路が停止した、狭い世界の住人達。その外にある社会に出ていく人間にとって、そのつべこべが何の意味を持つだろうか。

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しいたけ君5周年

明日でシイタケ君を飼い始めてから5年が経つ。まだ卵黄嚢がお腹に付いてる時に買ったので、5歳ということになる。

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シイタケ君が来る前に、タケノコ君というクサガメを飼っていたのだが、かなり小さいまま成長が止まってしまい、カルシウムも与えて日光浴をさせているにも関わらず、甲羅がやわらかめだった。あれは、今考えてみると先天性の病気だったんだろうな(死因は棚から落ちたことによる甲羅損傷)。

シイタケ君は甲羅が硬くて、とても活動的なので長生きすると思う。

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あともうちょっとで修論のプレゼンがあって、そしたら全てがおわる。修論を出してからプレゼンまで2週間しかないので、もっと気楽に過ごせるかと思ったが、いつも予想は裏切られる。

というか、このけんきゅーしつ、予想外のことばかり起きるのだ。悪いことしか起きないってところがポイント。姉さんの同期は1人が壊れて休学、2人は博士進学希望者。その博士組が大変で・・・博士に行きたいなら、普段のセミナーでの態度とはうって変って、修論提出後のプレゼン練習のこととかでイニシアティブを発揮してくれるだろうと勝手に思っていた。しかし、現実には予想外のことが起きた。

そもそも、修論が書きあげられなくて大変だった。ポスドクが付きっきり。提出期限のどれくらい前までに教授に提出して、チェックしてもらおうとかいう気はないらしい。てか、チェックはしてもらわないとイケナイのだから、提出期限が迫る前に教授に渡さないとダメだ。「見て頂く」のだから。その辺の意識がないらしい(けんきゅーしつで唯一まともなポスドクもそう言っていた)。

そして、修論を提出した後に、中々研究室に現れない。姉さんも修論執筆中のダメージから癒えるため2日間休んだが、彼ら、プレゼンの練習日をもう決めなきゃアカン!という日になっても来ないのだ。なんかイライラしたので姉さんが勝手に教授と話して日時を決定。彼ら、普段のセミナーの時も仕事してくれないのだが、今回も姉さんがやることになるとは思わなかった。練習当日のプロジェクター準備とかも姉さんがやることになるんだろうな(きっと彼らは練習が始まる直前の時間までパソコンに貼り付いていると思う)。

予想外ですYO!だって、修論執筆と発表くらいできなくて、どうやって博士号取得するんだYO!唖然。

そんな滅茶苦茶な状況で、姉さんはけんきゅーしつの機器のメンテナンスをM1に引き継ぎしたりしなきゃいけなかったりで・・・そういうメンテナンス系の仕事や、コンピテントセル管理(引き継ぎ済み)にも、博士組は口を出してこないというか、興味を持ってくれなかった。さらに文句を言うと、このけんきゅーしつの他のメンバーが実験機器とかを丁寧・清潔に扱ってくれないことが多いので、実験をしていた時は機器の掃除から始めなければならない時が良くあった。ここにメンテナンス系の仕事が入り、さらに実験指導もしてもらえず(というか誤ったことを習い)、これでおかしくならない人がいるだろうか・・・。

あと、けんきゅーしつがとんでもない悪循環に陥っていることに気付かない教員達。あなたらが昼休みに話している内容を聞いて、頭がおかしくなりそうだ。内容は書かないけれど、姉さんはもはや教授も准教授も、人間的にも学術的にも信じていませんよ・・・・

無事に毎日を乗り越えるので精いっぱいですよ。

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出した。アレを。

ついに昨日アレを出した。学位論文。

まぁ予想はしていたし、驚きではないが本当に穴だらけの論文だ。でも出来る限りのことはした。

いざ論文としてまとめだすと、そもそも与えられたテーマに論理的な筋が通っていない(単なる教授の頭の中の夢物語である)ことに気付いたり、始めの1年と半年に「チューター」という名のポスドクだったり「指導教官」という名の教授に「指導」されて行った実験がどれだけ不適切でバカバカしいものだったかを改めてシミジミと感じ、吐き気がした。結局姉さんが全てに気が付いて、このけんきゅーしつでまともに実験できたのは最後の4ヶ月だけである。

修論を書こうとして新たに愕然したことも沢山ある。

けんきゅーしつの皆さんが使っていたプロトコルが間違っていて、さらに、とあるポスドクが良かれと思って購入していた試薬も、けんきゅーしつで使ってる細胞株には毒性が強すぎることに気が付いて、残された少ない時間で実験系を確実に動かすための方法をリサーチして実験を行ったその一連の流れは、同じチームのポスドクの目に「○○(姉さんの名字)さんが色々頑張って条件検討した」という風にしか映っていないことも判明した。その「色々頑張って条件検討した」ことを論文に書けと言ってくるのだ。実験系が上手く動かなくて、でもその実験系が動かないと進まない研究をしていて、残された時間が少なくて、でも他の複数のグループが同じ実験系を用いた研究をしているのなら、それらのグループで上手くいっている方法に習うのは当然の選択だと思う(そもそもその実験系の構築は目的ではないし)。その結果判明したのがけんきゅーしつのプロトコル間違いと、ポスドクの試薬勘違いだったのだ。一体その顛末をどう書けと言うのか。

さらに愕然としたのは、そういったことを姉さんが指摘してきたにも関わらず、「指導教官」にはその一連の流れを、「姉さんが適切な細胞株を用いてなかったために実験系が上手く動いてなかった」と書くように言われたことだ。確かに姉さんが始めに使った細胞株はあんまりあの実験に向いてなかった。でもそれはこの話の本質ではなく、そもそも実験の原理すら踏まえずに日々の実験を行い「けんきゅー」を行っている研究員が多くいることが問題になるはずだ。普通なら。そして、そのような研究員を育てたり、雇ったりする側に責任があるはずだ。普通なら。

考え方に論理が通っていなくて、大した議論もなしに、感情論で物事が進む。

サイエンスが目的の集団だったら、今まで姉さんがショックを受けてきた物事の数々は起こらないだろう、と最近思うようになった。いや、ある意味気が付いた、というべきか。

姉さんがいるけんきゅーしつがおかしなことになっている大きな原因は、そもそもボスの興味がサイエンスではなく、サイエンスを通じて築き上げる名誉にあることなのだ。自分がどれだけ「偉く」なれるか、そのおかげでどれくらいの研究費を巻き上げられるか。

それを基準に研究テーマの吟味をするし、共同研究は自分が上に立てる場合しかやらない。よって、自分のけんきゅーしつを卒業した人達としか組まない。

一番恐ろしいのが、データの吟味までそのような視点で行われ、誰もそれに異を唱えないことだ。ポスドク達は、まるで偉くなりたいボスの奴隷の様に見える。彼ら自身の人生は一体どこへ行ってしまうのだろう。他のメンバーも、「意見を言う」ということをしない。このような環境は、やがては捏造の温床となるだろうし、もう既に起きている可能性もある、と姉さんは思うようになった。捏造が仮に起きなくても、サイエンスと呼べる所業ではない。

こういうけんきゅーしつに限って莫大な研究費を「当てる」のが不思議だし、遺憾でならない。研究費は、元を辿れば税金である。沢山の人が一生懸命働いて国に納める税金の、一般人から見ればとんでもない桁の金額分が、このようなけんきゅーしつに「投機」されているのだ。サイエンスにも、そこにいる人間のトレーニングにも使われることはない。文科省も、どのような組織にどれくらいの額のお金を落としているのか、あまり把握する気がないのだろうか。この世界には投資という視点はないのだろうか。まともな人がいるけんきゅーしつに限って、あまり研究資金をもらってなかったりするのはなぜなのだろうか。

純粋なサイエンスは税金の助けが無ければ成り立たないのだ。だからこそ、資金の巡りやその消費の仕方に関して、透明性が必要だと思うのだが・・・そのためには第三者機関による定期的な評価が必要だろう。

こういうことに気が付くと愕然とするし、修論を書く手は止まるけれど、知らなくてはならない現実でもあったと思う。理想ばかり見ていても、自分の方向性は定まらないのかもしれない。時には愕然とする様なイベントに出くわして、改めて初心に戻ることが出来るのかも知れない。

でもあのような環境があることを肯定するわけでは、決して、ない。なんか変だ。

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